YO-TAの生い立ち・詳細プロフィール
本ページでは、
YO-TAの生い立ち・詳細プロフィールを
公開していきます。
やたらめったら長いので、手っ取り早く
YO-TAのアフィリエイターとしての歴史・実績を
知りたい方は以下のページを参照してください。
・・・
・・・
・・・上記のリンクをクリックしなかったということは、
クソ長いプロフィールを読む覚悟が出来たということですね。
お茶とポテトチップスの用意は出来ましたか?
涙あり、笑いあり、どんでん返しありの感動巨編なので
ティッシュとハンカチも必須です
でわ始めます(*´∀`*)
プロフィール
- 名前:YO-TA(本名:秋葉 陽太)
- 性別:男♂
- 生年月日:1983年10月29日(さそり座)
- 血液型:AB型
- 生息地:千葉県松戸市
- 身長:177cm
- 体重:69kg(専業アフィリエイターになり6kg増加)
- バスト:87cm
- 職業:自由人(専業アフィリエイター)
2009年9月からアフィリエイトを始め、
2011年11月までのインフォトップ累計売上は・・・
2011年11月までのインフォトップ累計売上
趣味
- エレキベース
- 麻雀
- 漫画
- ゲーム(特にRPGを好む)
- 映画(特にサスペンスを好む)
所有楽器
- ミュージックマンスティングレイの5弦モデル
- 音楽の専門学校時代に自作したベース
- ROLAND V-Drums(電子ドラム)
- KORG SP-250(電子ピアノ)
ミュージックマンスティングレイの5弦モデル
音楽の専門学校時代に自作したベース
ROLAND V-Drums
KORG SP-250
所有エフェクター
- SANSAMP ベースドライバーDI PROGRAMMABLE
- BOSS コーラス CEB-3
- BOSS フランジャー BF-3
- Guyatone パワーサプライ AC105
所有エフェクター
好きなアーティスト
- RADIO HEAD(レディオヘッド)
- MUSE(ミューズ)
- NIRVANA(ニルヴァーナ)
- ミスチル
- スピッツ
出したことのある役満
- 地和
- 国士無双
- 大三元
好きなファッションブランド
- ナノユニバース
- ポールスミス
- バーバリーブラックレーベル
バーバリーブラックレーベルのバッグ
好きな漫画
- デスノート
- カイジ
- ハンター×ハンター
- ドラゴンボール
好きなゲーム
- ドラゴンクエスト5
- ファイナルファンタジー6
- ファイナルファンタジー10
- ファイナルファンタジータクティクス
- サガフロンティア2
好きな映画
- ショーシャンクの空に
- バタフライ・エフェクト
- SAW
好きな女優
- 小倉優子
- 榮倉奈々
- 北乃きい
生い立ち
ここから生い立ち話です。
1983年10月29日、
千葉県松戸市のどっかの病院で
2,800kgくらいで生まれる。
家族構成は28個上の父と母、
それと3つ上の兄です。
あまり小さい頃の記憶はありません orz
3歳くらいまでは千葉県松戸市在住だったのですが
それから2~3年くらい父の仕事の都合で名古屋に居ました。
名古屋に居た頃の記憶は
ささやかながらあります。
母が幼稚園になかなか迎えに来ない日があって
一人で家に帰ったことがあったことと、
社宅の隣の部屋の子がゲームボーイを持っていて
よくマリオをやらせてもらっていたのだけは覚えています。
そして6歳のときに千葉県松戸市へ帰ってくる。
それからはずっと同じところに住んでいます。
(今は実家の近くで一人暮らし)
この頃からエレクトーンとスイミング教室に通うことになり
これは小学校卒業まで6年間続く。
小学校低学年時代
小学校低学年のときは外で遊ぶよりも
テレビゲームをやっていることの方が多かったです。
「ドラクエとか何が楽しいん?」
と思っていたのですが、
ファイナルファンタジー4に出会ってからは
RPGにどっぷりです(ノ´∀`*)
ドラクエは1~9まで全部やってるし、
ファイナルファンタジーは1と11と13以外は全部やっています。
ドラクエで好きなのは5。
ファイナルファンタジーで好きなのは6と10・・・かな?
あ、小学校低学年のときは
スポーツ苦手だったんですけど
「ドッジ弾平」っていう漫画の影響で
ドッジボールだけは得意だったんですよ。
知ってます?ドッジ弾平。
ボールに炎のマークが描いてあるヤツ(笑)
あと、当時は絵を書くのがめちゃくちゃ好きでした。
自分で言うのもおこがましいですが
めっちゃ絵が上手かったです(爆)
ドラゴンボールの絵とかを描くと・・・
「コレ写し絵でしょ!?」
と言われることはザラでした。
自分オリジナルの漫画とかも描いたりして
それを友達に見せるのが楽しみでしたね~。
夏休みとか長期の休みを挟んでしまうと
しばらく漫画のことに触れられなくて寂しかったんですけど
少し経つと・・・
「漫画の続きある?」
って聞いてくれるんです。
やはり漫画もブログもメルマガも読まれてなんぼです。
読んでくれる方がいれば嬉しいのです。
この頃の将来の夢は「漫画家」でした。
小学校中学年時代
この頃が一番悪ガキでした。
「不良自慢」みたいなのは
みっともないと思いつつも
あえて書かせていただきます。
はい、授業をサボッてケンカに明け暮れていました。
(10歳とかのガキがですよ?w)
こっちを見ているヤツが居れば・・・
「なにガンつけてんだよ?」
みたいなノリで
ケンカを売りまくっていました。
ドラゴンボールとかの影響で
「最強」に憧れてしまったのでしょうか?
アイタタタタ(ノД`)
担任の先生から毎日自宅に
電話をかけられて・・・
「お宅のYO-TA君が!」
って、しょっちゅう親は
呼び出しをくらっていました。
母ちゃん、昔は迷惑かけてゴメン><
小学校中学年時代
ケンカに明け暮れていても
漫画は描き続けていました(笑)
小学校高学年時代
小学校中学年時代と比べて
かなり落ち着きました。
髪型などにも気を使ったり
色気づいてきた年頃です(照)
当時流行っていたアニメ「スラムダンク」が始まる頃に
丁度バスケにはまりミニバスケットボールチームに入りました。
ポジションは主に「セカンドガード」
スラムダンクで言えば「三井」みたいなポジションです。
(私はあんな3ポイントシュート入りませんけどね)
周りからスラムダンクの影響で
バスケを始めたと思われるのがすごくイヤでした。
バスケを始めたきっかけは
体育の授業でやって面白かったからです><
バスケにハマッたのと引き換えに
「漫画家」という将来の夢を捨てました。
スポーツをするようになって、
漫画家というものがオタクっぽいものに
感じるようになってしまったのです。
今思うとなんてもったいない><
「おい!昔のYO-TA!」
「お前には漫画の方が才能あるぞ!」
「バスケやるより漫画描け!」
中学校時代
中学ではバスケ部に入部しましたが
1年のときはほとんどサボッていました。
周りに自分より上手いヤツがわんさかいて試合に出れなかったので
だんだん部活に行きたくなくなりました。
(なんという負け犬っ・・・!)
で、中学1年にして髪を染めたり。
あぁ、何と単純な><
中学1年が終わる頃に部活の顧問ときっちり話す機会がありまして
そのときに「部活を続ける」と宣言しましたので
それからは引退までしっかり部活に出ました。
約束は守る良い子なのです。
今思うとあの時
部活を辞めなくて本当に良かった。
当時の部活のメンツとは
今も時折会って飲んだりする仲です。
たまに部活の元顧問も交えたり♪
部活を辞めていたらこの関係は
断たれていたでしょうからね。
中学2年のときに3つ上の兄の影響で
エレキギターを始めます。
当時コピーしたバンドは・・・
- ルナシー
- グレイ
- ラルクアンシエル
など超ど定番なバンドです。
しか~~~し
中学3年のときに友人の家で
ベースを弾かしてもらい衝撃を受けます。
「こ、この音は!!!」
ってな感じに。
そんなベースとの出会いから
高校に入学と同時くらいに
ギターからベースに転向です。
この頃の夢は「プロミュージシャン」
高校時代
第一候補の公立に落ちてしまい
滑り止めの私立(男子校)に行くことになる orz
公立に落ちたときは泣きました(恥)
「オレがっ・・・男子校なんてっ・・・
ありえねぇだろっ・・・!」
一緒に合格発表を見に行った友達は受かっていたので
気まずそうにしていました。
自己採点したときにもう泣き腫らしていたから
合格発表のときは泣かなかったのに><
「オレが落ちていても気にしないで」って言ったのに!
・・・でも仕方ないですよね。
逆の立場だったらやっぱり
気まずいですもん(ill´Д`)
高校に入学したと同時くらいに
ファミリーマートでアルバイトを始めました。
入学早々アルバイトを始めたのは
一刻も早くエレキベースを買いたかったからです。
ファミリーマートのアルバイトは
約5年間も続けました。
1回辞めたりもしましたが
他のバイト先が潰れたので戻ってきたり(ノ´∀`*)
高校2年のときファミリーマートの先輩と
バンドを組みました。
メンバーがみんな4つ上でバンド経験もあって
最初の頃は足を引っ張ってばかりでした><
そんな状況を良しとするはずがなく
もう猛練習の日々です。
軽音部とかに所属しているワケでもないのに
わざわざ学校にエレキベースとミニアンプを持っていって
休み時間のわずかな時間を使って練習していました。
時には学校をサボッて練習です(爆)
親に何か文句言われたら
こう言うつもりでした↓
「いつもと同じように
学校へ行っても何も変わらない」
「それなら一度くらい学校サボッてでも
ベースの練習をした方が
オレの人生にとってはプラスなんだ」
やばい、自分で書いていてかっこいい・・・。
そう言えば当時好きな子と遊ぶために
学校を早退したりもしていたな(笑)
友達との旅行にもベースを持っていったときは
みんなに引かれましたね~。
高校3年のとき先輩たちとのバンドが解散。
ボーカルの人が大学で忙しくなってしまったため
バンドが機能しなくなってしまったのです><
高校3年の終わり頃に兄とバンドを組みました。
兄がボーカル&ギター、YO-TAがベース。
楽器屋のメンバー募集の張り紙でドラムを見つけて
バンド活動開始です。
バンドを組んで2か月くらいで初ライブ。
そのときは緊張していて
棒立ちでベースを弾いていました(*ノノ)
専門学校時代
高校卒業後は専門学校に入学。
専門学校はESPミュージカルアカデミーといふところ。
「ミュージカル」といっても踊るワケではありませんよ。
当時ビジュアル系アーティストの全盛期だった頃
みんながこぞって使っていた楽器がESPというメーカーでした。
ESPというのは主に
楽器のオーダーメイドを引き受けているメーカーです。
そのESPの学校の「ギタークラフト科」に
YO-TAが入学したというワケです。
ちなみにESPとは、
Electric Sound Productsの略。
この頃は彼女にかまけてばかりでした(*ノノ)
専門学校2年時、
進路という人生の分かれ道に立たされました。
とりあえず進路相談室に行って
「楽器の工房に入りたいと思っているのですが」
と言いました。
そのときの進路指導の先生の返しの言葉↓
「あ~、ぜんっぜんオススメできないね」
( ゚д゚ )
なんでも進路指導の先生いわく
楽器制作の業界はすこぶる給料が悪いらしいのです。
過去の卒業生で月給3万円で
工房に就職した方もいるとか。
日給じゃないですよ!月給ですよ!
ブログアフィリエイトで日給8万円という
アフィリエイトの情報商材がありますが
その日給にすら負けています orz
工房のトップになったとしても
年収500万円程度が天井だとか。
小学生のときは漫画家を目指して
中学校のときからミュージシャンを目指していたYO-TAには
耐えられない待遇でした。
ほら、やっぱり印税とかで
楽して過ごしたいじゃないですか(爆)
専門学校卒業後
結局、専門学校卒業後は
「ファーストキッチン」という
ファストフード店に契約社員として入社。
今思うとなんでファストフード店だったのか?
自分でも謎です(^_^;)
でもファーストキッチンでは
若い子といっぱい遊べたので良しとします(爆)
ファーストキッチンの契約社員(店舗マネージャー)として入社し
半年が経ったころ、ある事件が起きました。
それは失恋っ!
高校卒業と同時くらいから
付き合っていた彼女と別れました(ノД`)
その彼女とは小学校、中学校と一緒で
高校卒業後の中学校の同窓会で意気投合して
付き合ったというまるでドラメのようななりそめ(笑)
ドラクエ5ではフローラよりもビアンカ派のYO-TAにとっては
こういう幼馴染シチュエーションは気に入っていました。
両者ともに親と面識もあり結婚も考えていたため
彼女との別れはかなり心が打ちひしがれました orz
振られてからしばらくは
「鬱」というよりも「躁」状態でした。
ショックでやたらテンション高くなっちゃったんですよ(^_^;)
当時のファーストキッチンの同僚には
かなり迷惑をかけたと思います。
でも、彼女と別れたのをきっかけに
色々と考えるようになりました。
そもそもミュージシャン目指していたはずなのに
女にばっかかまけてバンド活動はおざなり・・・。
(彼女のせいにしているワケではありません)
「オレの人生っ・・・
こんなもんじゃねぇっ・・・!」
そこからは行動が早かったです。
バンドを本格的にやりたいと思ったので
ファーストキッチンの店長に宣言しました。
「契約社員辞めます」
「今後はバイトとして使ってください」
「これからはバンド中心に生活したいんで」
・・・という感じで
契約社員からバイトマネージャーに降格。
彼女に振られたのをバネに
本気でバンドをやろうと決意しました。
この頃YO-TAは21歳。
それからは激動の2年を過ごすこととなる。
バンドマン時代
高校の終わりころに組んだ兄とのバンドは
ライブ活動こそ休止していたものの
スタジオでの練習はずっと続けていました。
「とりあえずライブに出演しよう」と思い
練習スタジオで自分たちの楽曲を録音し
ライブハウスに単身で乗り込みました。
「自分のバンドで
ライブに出演したいんです!」
若いって素晴らしいわ(ノ∀`)
ライブ活動を開始してからは
今までの2年半の休止状態が
ウソのように行動しました。
本格的にレコーディングをし、
無料配布用のCDを作成。
それをひたすら量産し、
バイトが休みの日は各地のライブハウスへ行き
無料配布用CDを設置してもらう。
主にこの活動をYO-TA一人でやっていました。
自分だけがやる気満々だったんだと思います(^_^;)
YO-TAがこれだけエネルギッシュに動けたのは
これまでの人生で3回だけです。
で、バンド活動がその1回目。
あとの2回についてはこの後お話しますね。
マイナー音楽雑誌にYO-TAたちのバンドが掲載。
インディーズレーベルのオムニバスに楽曲提供など、
やはり精力的に活動すると何かしらの変化はあるんですよ。
ライブを通して中学校時代の後輩と対バンして再開するなど
面白い出来事もありました。
ですが兄とのバンドは
本格的に活動を再開してから1年半で解散。
解散の理由はドラムの脱退です。
恐らくYO-TAがやる気ありすぎて
それが重荷になっちゃったんだと思います><
その頃ライブで再開した「中学時代の後輩」から
YO-TAにベースとしてのメンバー加入依頼がありました。
兄とのバンドはイギリス系ロックでしたが
後輩のバンドはヘヴィ系ミクスチャー。
(kornみたいな感じです)
今までとやってきたのと
まるでジャンルが違う(ill´Д`)
「Hey!」
「なにYO!」
「オレにRAPでもしろってのかYO!」
「チェケラ!」
・・・結局、後輩のバンドに加入しました(ノ∀`)
慣れないスケーター系ファッションに身を包んで(笑)
でも、人間の適応力ってスゴイ!
なんだかんだヘヴィ系ミクスチャーが
好きになってきましたもん。
こちらのバンドはYO-TAが加入してから
1か月と経たずにレコーディング決行。
2週間で7曲もアレンジ込みで
覚えろと来たもんだ(ill´Д`)
なんとか弾けましたけどね。
レコーディング終了後
すぐにライブ活動開始。
YO-TAが加入する前から活動していたバンドだったので
わりかし早くからおいしいお話がいっぱい貰えました。
UZUMAKIやONE OK LOCK、
あとBACK-ONとかと対バンしました。
ですがプロを目指すと
頑なに行っていた後輩に変化が・・・。
「ばっちょ・・・
オレ就職しようと思うんだよね」
※ばっちょ = YO-TAのあだ名です。
(秋葉だからあきばっちょ → ばっちょ)
。 。
/ / ポーン!
( Д )
YO-TAは後輩に自分の考えを伝えました。
「あんね、バンド活動ってさ、結局ライブハイス側に利用されて
こちら側もライブハウスを利用するのが一番いいと思うんだよね」
「ライブハウス側はこちら側に集客を望んでいて
こちら側はライブハウス側にいいブッキングを望んでいる」
「だけどさ、こちら側が就職しちゃって
土日しかライブできないって言ったら
ライブハウス側もブッキングしづらくなるじゃん、分かる?」
と伝えたものの結局は本人の問題ですからね。
その話をしてから30分後くらいに
YO-TAはこう思っていました。
「オレもIT企業にでも就職しよ」
「何でやねん!」ってツッコミは受け付けません><
YO-TAは後輩と話していて気付いてしまったのです。
バンドでプロを目指すというのはなんて他力本願なんだろう、って。
本気で音楽で食っていこうと思うなら
ソロでもなんでもやればいいじゃないか。
だけどYO-TAにはバンド以外で
音楽をやっていこうという気はない。
その程度だと気づいてしまったんです><
だったら一人で出来る、
一人でもてっぺん取れるものを始めよう!
というワケで兄がやっている
ITの仕事に興味を持ちました。
世の中はIT時代って言われていましたし
すごく儲かりそうだなって(笑)
そこからはバンド活動のときと同様
行動が早かったです。
「店長!オレ仕事辞めるよ!」
「プログラマーになるんだ!」
あれ?こう書いてみると
YO-TAの人生って結構適当???
結局ファーストキッチンを辞めると宣言してから
辞めるまでに半年かかりました。
店長に「あと半年居てくれる?」と言われましたし
バンドも解散するワケではなかったので
まぁゆったりと(笑)
今思えばここでアフィリエイトを
始めておけば良かった><
ブラック企業時代
2007年初頭。
ファーストキッチンを辞め、IT系の会社に就職。
なんと!プログラム未経験だったにも関わらず
面接一発目で合格してしまいました。
ちなみにこのとき入社した会社は、
「人材紹介予定派遣」をしている会社でした。
「人材紹介予定派遣」というのは、
会社で研修をしたのち他の会社に派遣として出向してもらい、
ゆくゆくはそちらの会社に正社員として移籍してもらうというシステム。
この入社した会社がまぁ・・・
俗に言うブラック企業というヤツでして
研修中はアホのような拘束時間でした(^_^;)
同期が60人くらい居たのですが
最後まで残ったのは20人くらいです。
でもこのときのYO-TAの精神は
無敵(トランス?)状態でした。
他の同期が「つらい・・・」ってしきりに言っていた研修でも
むしろ楽しめていた記憶があります。
研修中の拘束時間は・・・
- 朝7時半に会社に到着
- 研修が終わるのは毎日21時前後
- 遅いときは24時手前くらい
- 週休1日制(日曜だけ休み)
この内容の研修が3か月です。
しかも一度でも遅刻をしたら
クビというおまけ付き(笑)
YO-TAはこの会社の入社式がある日、
- 午前中に最後のバイトに出て
- 午後は会社の入社式に参加
- 夜は地元でライブ
というハードスケジュールでした(^_^;)
研修中は周りの同期が
いっぱいいっぱいのときに、
- 平日は研修から家に帰ってからジョギング
- 週1の休みはバンド活動
と他の同期からしたら普通じゃないことを
「オレは何ともね~よ?」と言わんばかりにこなしていました(笑)
これがYO-TAが人生で本気になった2回目です。
「本気でやろう!」と思ったときって
本当に力がみなぎってくるんですよ。
やる気があり過ぎて、
だらしない同期を叱ったりもしていました(^_^;)
「やる気ないんだったら辞めれば?」
とか普通に言っていました(鬼)
でも本当は優しい子なので
誤解のないように(爆)
3か月の研修を無事に終え他の会社に派遣・・・
となる段階だったのですが面接でことごとく落とされました orz
本当は3か月以内に派遣先を決めないとクビと言われていたのですが
4か月目の延長が認められました。
だけど4か月目でも派遣先が決まらない orz
これは後から気付いたコトだったのですが
研修を行っていた会社のカラーにYO-TAが染まり過ぎていて
他の会社に合わなくなってしまっていたんです。
4か月目に派遣先が決まらなかったら
クビだと言われていたので覚悟をしていました。
が、とある出来ごとがあったのです。
YO-TAの上の上の上くらいの上司が
一番トップの方にこう言ってくれたらしいのです。
「YO-TAだけは絶対残してください!」
「アイツは絶対に派遣先が決まる!」
その話を聞いて泣いちゃいました。・゚・(ノД`)・゚・。
ただこの会社は恐ろしいことに
4か月目で出向先が決まらなかった他の同期は
本当に切っちゃったんです。
その中には仲の良い同期もいたので自分が会社に残れた嬉しさと
同期の仲間に悪いという気持ちの板挟みになって
その日の夜は眠れなかったのをよく覚えています。
その仲の良い同期とは今でもたまに会ったりします。
面白い縁でその同期の名前はYO-TAの父と同姓同名(笑)
研修5か月目。
YO-TAが今の会社のカラーに
染まり過ぎていたということにひょんなことから気づきまして
肩の力を抜いて面接を受けたら一気に二社も受かっちゃいました。
( ゚д゚)ポカーン
今までの苦労はなに?
この頃に後輩とのバンドが解散。
そして派遣先の会社に
2か月の研修のあと本入社。
この会社に入社したのが2007年9月。
この会社は2009年12月まで続けることになります。
生きた屍時代
前にいたブラック企業はかなり厳しいところでしたが
案外YO-TAには合っていたんでしょうね。
派遣から本入社した会社はぬる過ぎて
自分の為に全然ならない会社でした(爆)
良き麻雀の師匠とは出会えましたが
本当にそれだけだった気がします。
何といっても給料が年々上がっていくのみ!
給料がまったく上がらないよりはマシですが
YO-TAは本当に「やってやる!」っていう気持ちで入社したんです。
成果に見合った分、
給料を上げる体系こそが望むモノでした。
だけどだらだらやっていても
どんなに頑張っても給料が変わらないんじゃあ
やる気なんて起きるワケありません><
そんなぬるい会社で怠惰な生活を
2年以上も続けることとなります。
と、ここで麻雀の話を挟みますね。
雀士時代
YO-TAは2008年まで麻雀が打てませんでした。
「社会人になったら麻雀打てるようになりたいな」
とは思っていたんです。
そんなときに会社の先輩が
麻雀をめちゃくちゃ好きなコトが判明。
その先輩は家にある漫画の8割は
麻雀漫画というまさに雀狂(笑)
「正気の沙汰じゃないっ・・・!」
その先輩は実力もかなりのモノです。
「自分、速攻麻雀覚えますんで
一緒に打ちましょう!」
相変わらず勢いばかりのYO-TAです(ノ∀`)
2007年終わり頃に任天堂DSの「役満DS」を購入し
ある程度のルールを掴む。
確か初雀荘は2008年1月3日に行った
渋谷の「メカバビィ」でした。
今思うと牌を切るのが遅くて
周りに迷惑かけたんだろうなぁ><
そこからは急速に麻雀の腕が上達。
仕事中でも先輩にメッセンジャーで、
226778三四五六②③④⑤
ドラは5
↑何切ります?
みたいなやりとりをするほど
麻雀にハマッていました(ノ∀`)
次第に知り合いだけで打っているのに満足できなくなり
単身でフリーの雀荘に行くようになりました。
このときYO-TAはまだ符計算ができません(汗)
だけど・・・
「まだ始めて間もないので符計算できません」
「だけどどうかよろしくお願い致します」
と単身で雀荘に乗り込みました。
なんでその情熱を仕事に向けられないかなぁ><
はい、給料が上がらないからです(笑)
それからは週4回のペースで
フリー雀荘に通うことになります。
(もちろん符計算は覚えましたよ)
そして2009年の夏、事件が起こります。
それは、夏のボーナスALLカット。
社長いわく「冬も期待しないでくれ(キリッ)」
期待しないでくれ(キリッ)じゃね~~~~~~よ!
やってられっか(ノ`Д´)ノ彡┻━┻゛:∴
この事件から会社を辞める気持ちが
一気に高まります。
「石の上にも3年」と言いますから
3年は会社を続けようと思っていましたが
もう悠長なことは言っていられません。
「とりあえずFXの
専業トレーダーにでもなるか」
はい、バカです。
FXで20万近く失いました orz
こうなったら「アレ」しかないな、と思いました。
兄が少しだけやってみたけど
1か月31円にしかならなかったという・・・
アフィリエイト
はい、ここでようやく出てきました、
アフィリエイト。
アフィリエイトやネットビジネスと聞くと
なにげ多くの方が・・・
「楽して稼げる」
というイメージを抱きやすいらしいのですが
YO-TAの場合は全然違います。
むしろ「稼ぐのは難しいだろうな」って思っていました。
兄から1か月31円の話を聞いていたからでしょうね。
アフィリエイトは専門的な知識とか必要そうですし、
毎日のブログ更新とかがありますから、
「敷居が高いビジネス」
と思っていたため敬遠してきました。
なのでより楽して稼げそうなFXに手を出したのです。
そして初月から20万円失ってしまったと orz
だけどここでアフィリエイトで人生を変えないと
ずっと会社に対する不満を抱えたままの人生になってしまう。
「それなら専業アフィリエイター目指して一直線だ!」
2009年9月、アフィリエイターYO-TAの誕生です。
そして専業アフィリエイターに
夏のボーナスALLカットに続き
基本給10%カットのお知らせを聞いて
速攻で「辞めます」と申告しました。
「辞めます」と申告したのは2009年9月でしたが
引き継ぎなどもあったため会社を辞めれたのは2009年12月です。
12月までアフィリエイトで手ごたえを感じなかったら
「葬儀屋にでも就職しようかな」なんて考えもありました。
(葬儀屋の需要高そうですからね)
で、アフィリエイトの収益はというと
ひと月目は0円という無残な結果 orz
2009年9月のアフィリエイト報酬0円
しかし、2か月目からは順調に伸びていき・・・
2009年10月のアフィリエイト報酬2,880円
2009年11月のアフィリエイト報酬23,500円
2009年12月のアフィリエイト報酬35,280円
2010年1月のアフィリエイト報酬142,090円
専業アフィリエイター2か月目の2010年1月は
月10万円を突破することができました。
言うまでもないと思いますが
YO-TAが人生で3回目の本気になったのは
もちろんアフィリエイトに対してです。
ちなみにアフィリエイトの作業時間は
始めたばかりの9月は平日2時間程度。
10月になって平日4時間くらい。
11月に至っては平日5~6時間くらい。
仕事から家に20時頃帰ってきて
夜中の3~4時頃までやるのは
当たり前になっていました。
会社の有給が余っていたから
アフィリエイトの作業がノッていたら気分で休む(爆)
(別に仕事詰まっていませんでしたしね)
会社の上司からはモチベーションが
下がりまくっていることを指摘されましたがそんなの関係なし!
「お前らに嫌われることで
アフィリ報酬が1円でも稼げるなら本望だ」
「勝手に嫌ってくれ」
「オレのこれからの人生にお前らは関係ない」
会社を辞める直前はこんな気持ちでした。
だって会社の中で尊敬できる人
一人もいなかったんですもん(ノД`)
更に言うとアフィリエイトをするようになって
会社の人間がその、
バカ
に思えるようになってきたんですよね。
アフィリエイトを始めた瞬間から
YO-TAは運営しているブログ・メルマガの「社長」です。
はっきり言って雇われている人間とは
「生きるモチベーション」が違うと思っています。
(雇われている方、スミマセンm(_ _)m)
これだけ大口叩いているのですから
アフィリエイトに対してはすごく真剣です。
だからこそアフィリエイトで稼ぐことを
甘く見ている方はムカつきます。
もうすっごくムカつきます。
「月に100万円稼ぐのが目標です!」
って言っている方が消えていくのを
何人も目の当たりにしてきました。
実は大して本気じゃないこと
分かっているんですからね><
念を押しておきます。
アフィリエイトで稼ぐのは
「楽」ではありません。
だけどいくらでも可能性のあるビジネスです。
(潰れかけの会社にいるよりはよっぽど)
ひと月に100万、200万と稼いでいる方も
結構いますしね。
YO-TAの当面の目標はひと月のアフィリエイト報酬を
30万、50万、100万と増やしていくことです。
それと並行してメルマガの読者さんを
3,000人、5,000人、10,000人と増やしていくことですね。
■ 追記:2010年5月、月収30万円突破。
2010年5月のアフィリエイト報酬316,778円
■ 追記:2010年9月、月収70万円突破。
2010年9月のアフィリエイト報酬720,675円
■ 追記:2011年2月、月収160万円突破。
2011年2月のアフィリエイト報酬1,605,126円
■ 追記:気付いたらメルマガ読者数2万人突破。
2011年9月1日時点のメルマガ読者数21,447人
アフィリエイトでもっと稼げるようになったら
とりあえず親孝行します。
両親にいい肉を食べさせてあげたいです(〃∇〃)
■ 追記:2010年12月、両親にいい肉を振る舞いました。
色々キツイことも言ってきましたが
YO-TAは本当は優しい子だと思います(爆)
他のアフィリエイターさんとスカイプをすると
よく「落ち着いた声だ」と言われます。
ブログやメルマガの印象だと、
「ち~~~っす!YO-TAっす~~~!」
みたいな印象を抱かれるようなのですが
実際は全然違いますからね><
普段はおとなしくて優しい子なんです(ノД`)
だからこれからアフィリエイトを始めようとしている方、
またはアフィリエイトでなにか迷いごとがある方、
お気軽にYO-TAに相談メールをしてください。
アフィリエイトで本気で稼ぎたい方には
こちらも本気でお付き合い致します。
クソ長いプロフィールにお付き合いいただき
誠にありがとうございました。
今後ともYO-TAをよろしくお願い致します。
2011年9月10日
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